2025/07/22

舞台は、雪深い長野の山間にひっそりと建つ洋館「七曜邸」。
著名な画家・芦屋康晴(あしや やすはる)が主催する晩餐会に、旧知の友人や関係者8名が招かれた。芦屋の最後の作品を披露する「遺作展」として——彼は、自分が余命数ヶ月であることを公表していた。
雪は夜更けに激しくなり、邸宅の外界への道は完全に遮断されていた。
晩餐が終わる頃、事件は起きた。
芦屋康晴が、自室で死体となって発見されたのだ。
首には絞殺の痕。だが、驚くべきことに、彼の部屋は完全な「密室」だった。
• 内側から鍵がかかっていた
• 部屋の窓は厚い雪に覆われて開閉不能
• 中には芦屋の死体のみ。凶器は見つからず
警察が現場に到着できるまでに時間がかかることを受け、邸宅に残された8人は、それぞれに疑惑と恐怖を抱えながら、洋館に閉じ込められることとなった。
だが、この事件は単なる殺人ではなかった。——それぞれが芦屋に抱えていた「秘密」、それが少しずつ明るみに出ていく。
そして、翌朝。新たな死体が見つかる。
密室の中で、再び——。
第二章:沈黙の肖像
朝の七曜邸は静まり返っていた。窓の外では雪が舞い、邸内は寒さとは違う空気の張り詰めた緊張に包まれていた。
芦屋の死から一夜。再び密室で人が殺されていた。
犠牲者は、芦屋の元助手・真鍋志保。彼女の部屋もまた、内側から施錠され、窓は開けられない状態だった。
しかも、死体の横には奇妙なものが置かれていた——芦屋が描いた遺作の一部が切り取られたキャンバス。
「遺作展の作品が、なぜ志保の部屋に?」
館に残された人々に疑念の目が向けられる。芦屋に招かれた8人は、それぞれ画家との過去を抱えていた。
• 外崎剛士:芦屋の最大のライバルであり、過去に盗作疑惑をかけられた男
• 藤堂美咲:芦屋の元恋人で、志保とは親しい間柄だった
• 芹沢駿:美術館のキュレーター。遺作展の管理を任されていた
• 黒崎理央:芦屋の秘書。無口だが、芦屋の全作品を管理していた
• 他3名は美術業界とは別の立場から招待されたが、動機が読めなかった
そして、警察の到着が遅れるなか、一人の女性が中心人物となる。
元刑事であり、現在は民間の調査員——城ヶ崎 瑠璃(じょうがさき るり)。招待客の一人だったが、事件の気配を察知して調査を始めていた。
彼女は最初の殺人現場の構造と、志保の部屋に残された「絵」に着目した。
「この絵……一枚の遺作ではない。芦屋は、何かを“分割”していた」
そう、芦屋が描いていた最後の作品は、**七枚に切り分けられた“連作”**だったのだ。
そして、それぞれの絵を保持していたのが、晩餐会に集まった客人たち。
「絵を集めることで、真実に近づく。これは——“遺言”を巡るゲーム」
瑠璃は絵の断片と、それを持つ人々の証言をもとに、事件の核心へと迫っていく。
だが、真実は決して単純ではなかった。第三の死が、再び“密室”の中で見つかる。
そしてその死体のそばには、また新たな「絵の断片」が…
第三章:断片と沈黙
その朝、城ヶ崎瑠璃は、広間の長テーブルに絵の断片を並べていた。三枚。芦屋康晴の遺作の一部——それぞれの死体の傍らに残されていた“遺言”のようなもの。
「絵の断片が揃うたびに、次の死が起きている…これは偶然ではない」
彼女は低くつぶやき、周囲を見渡す。残されたのは五人。だが、誰もが黙したまま、目を合わせようとしなかった。
第三の犠牲者は、藤堂美咲。芦屋の元恋人だった彼女は、晩餐会の夜に不可解な言葉を口にしていた。
「康晴は、私たちの過去を“絵”に変えて告発したのよ」
その言葉が現実になるまで、誰もが気づこうとしなかった。
美咲の部屋の密室は、まるで“展示室”のようだった。床には赤い絵の具が撒かれ、その中央に、彼女の遺体。そして壁には、断片の絵を模した奇妙な模写。まるで美咲自身が模倣したかのような…。
「これは“模倣犯”の匂いがする」
瑠璃は確信を持ち始める。真犯人は、芦屋の意図をなぞり、独自の“演出”を加えて殺人を繰り返している。
芦屋康晴の遺作のテーマは、“告発と赦し”。彼の人生の罪と、他者の罪。それを暴くために絵が存在した。
「そして、犯人はその絵を通じて、自分の存在を示そうとしている」
瑠璃は、絵の裏に隠されたメッセージを探し始める。
—そこには、指先ほどの文字が潜んでいた。
“赦されざる者へ”
その言葉は、誰に向けられたものなのか。芦屋か、犯人か、それとも死者たちか。
そして、残された絵の断片はあと四枚。
次の犠牲を防げなければ、すべてが終わる。
その瞬間——停電が起こる。
七曜邸の灯りがすべて消え、館内は闇に包まれた。廊下の先で、誰かの叫び声。
「誰か…絵を持って逃げた!」
静寂が、また一つ崩れた。
第四章:闇に潜む絵
停電は、七曜邸の空気を一変させた。館内の照明はすべて落ち、闇のなかに微かな足音、誰かの息遣い、そして軋む床の音が響く。
城ヶ崎瑠璃は懐中電灯を手に、即座に動いた。まずは広間へ戻る——だが、絵の断片はすでに消えていた。
「盗まれた…いや、“移された”んだ」
誰がそれを持ち去ったのか。なぜこの瞬間に?
そして廊下の奥、物置部屋の前で、外崎剛士が立ち尽くしていた。顔は蒼白。彼の足元には——**血に濡れた“第四の絵”**が落ちていた。
部屋の中で見つかった死体は、芹沢駿。彼の胸には、芦屋が描いた「青い風景画」の断片が突き刺さっていた。
瑠璃は、ようやく気づく。絵の断片はただの「鍵」だった。——犯人は、芦屋の絵を使って“自分の罪”を洗い出そうとしている。
「この事件は、罪への復讐……そして“赦し”の構造だ」
彼女は芦屋康晴の過去を洗い始める。
そこには、驚くべき事実があった。
十五年前、芦屋はある“贋作事件”に巻き込まれた。業界を揺るがすほどのスキャンダル。だが、その証拠は曖昧で、結局事件は闇に葬られた。
そして、今回招待された8人——その事件に何らかの形で関与していた者ばかりだった。
「つまり、芦屋は最後の晩餐会で“真犯人”をあぶり出そうとした」
絵の断片は、その事件の“告発状”だった。
瑠璃は思い返す。芦屋が彼女にかけた最後の言葉。
「あなたには、見る力がある。“絵”に隠された嘘を見抜ける目が——」
それは、彼自身が死後に託したメッセージでもあった。
だが、まだ絵は三枚残されている。真実は、最後の断片にこそ隠されているのだ。
そしてその夜——七曜邸に、予告状が届く。
「次は“あなた”の罪を描く」
送り主は誰か。瑠璃の名を指しているのか。それとも、最後の“赦し”が、彼女自身に向けられているのか。
そして、五つ目の密室が、静かにその扉を閉じる。
第五章:罪の継承
七曜邸の空は、夜の闇をさらに深く染めていた。冷たい風が窓を打ち、館の奥では五番目の密室が静かにその扉を閉ざしていた。
そしてその中で見つかったのは——黒崎理央。無口で沈黙を貫いていた芦屋の秘書。
彼女の死体の隣に置かれていた第五の絵の断片は、“白い手”の絵。その構図は、過去に芦屋が描いていた未発表作品と酷似していた。
「これは…未発表の贋作とされていた絵…?」
瑠璃は震える指でその絵を確認する。かつて芦屋が疑われた“贋作事件”の中心になったものと、まったく同じ構図。
「黒崎理央が秘書でありながら、芦屋の名義で偽作品を世に出していた可能性がある」
それはつまり——理央が“芦屋の罪”を背負っていた者だった。
そして絵に記された小さな文字。
「誰かが贋作を“本物にした”」
その言葉は、絵の価値の欺瞞をも示していた。
城ヶ崎瑠璃はふと、自分の過去に目を向ける。
彼女が警察を辞めた理由——それもまた、芦屋康晴の事件に関係していた。
十五年前、瑠璃は美術詐欺の捜査を担当していた。だが、証拠が不足し、芦屋を訴追できなかった。
その未解決の罪を、彼女はずっと胸の奥にしまっていた。
「そして芦屋は、それを見抜いて私を招いた…?」
六枚目の絵が見つかる。
それは、瑠璃自身を描いた肖像画だった。背景には文字が刻まれている。
「赦しは、罪を受け入れる者にのみ訪れる」
彼女は膝をつき、静かに目を閉じた。
真犯人は——絵を使って、“罪の継承”を行っていた。芦屋が背負っていた罪、それを他者がどう受け止めるかを試していた。
そして最後の絵の断片はまだ見つかっていない。
館の地下室——封印された“アトリエ”が開けられるとき、すべての真実が明らかになる。
静寂の中、最後の扉が軋んで開き始める。
第六章:アトリエの断罪
地下室の鍵は、芦屋康晴の書斎に隠されていた。絵の断片の裏、城ヶ崎瑠璃が発見した微細な“白い絵具の痕”を辿り、彼女はアトリエへの扉を開けた。
そこは、時間が止まっているかのような静寂と、キャンバスの匂いに包まれていた。壁に並べられた未完成の絵。机の上には、日記、スケッチブック、そして——第七の絵の断片。
その中央に描かれていたのは、窓から差す光に包まれた城ヶ崎瑠璃自身。彼女が手にしていたのは、芦屋康晴の絵。
まるで、この結末を彼はすべて予見していたかのように——。
スケッチブックには、未発表の一文が記されていた。
「罪とは、誰かが犯すものではない。——誰もが、知っていて黙っていたことだ」
芦屋は、自らの罪だけでなく、周囲の“沈黙の共犯”を描きたかったのだ。贋作事件も、亡き秘書の関与も、そして瑠璃の“見逃し”。
彼は絵によって、最後の審判を行っていた。
そして最後のページには、「真犯人」の名が書かれていた。
——外崎剛士。
彼はかつて芦屋の絵を盗作し、それを贋作として仕立て上げた張本人だった。芦屋は告発せず、それでも彼に絵の断片を渡していた——罠として。
「これで終わりよ、外崎さん」
城ヶ崎瑠璃は、残された断片をすべて揃え、元の絵に戻す。そしてその構図は——“罪の輪”。
犯した者、黙認した者、受け入れた者。そのすべてを含んだ円形の連作。
外崎はただ笑う。
「美しいな。康晴が死んでも、絵は語るのか」
警察がようやく到着する頃には、絵は元通りに展示され、七曜邸は美術館のような静けさに戻っていた。
そして最後に、城ヶ崎瑠璃は封筒を開く。芦屋からの手紙。
「ありがとう。絵を、罪を、伝えてくれて」
雪が止み、光が差し込む。真実は語られた。赦しとは、絵のように——じっと見つめる者にしか訪れないものだった。