2025/07/22

静かな山奥にひっそりと佇む廃屋。その古びた木造の壁は黒ずみ、窓は割れ、風が吹くたびに不気味な音を立てていた。
「ここ、本当に入るの?」
瑞希は震える声で尋ねた。
「大丈夫だって。ただの噂話だろ?」
俊哉は懐中電灯を掲げながら、廃屋の扉を押し開けた。
**ギィ…**
内側は思っていた以上に暗く、空気がひどく重かった。瑞希は足を踏み入れるたびに、床が軋むのを感じた。まるで、この場所自体が彼らの侵入を嫌っているかのように——。
「おい、見ろよ。」
俊哉が指差したのは、壁にびっしりと刻まれた文字だった。
**「帰れ」「夜に目覚める」「血はまだ乾かない」**
「…なんだよ、これ。」
瑞希は背中を悪寒が走るのを感じた。その時、背後で何かが動いた。
**カサ…カサ…**
俊哉がすぐに懐中電灯を向けた。しかし、そこには何もいない。
「ただのネズミとかだろ…?」
だが、瑞希は知っていた。この廃屋には、過去にある一家が住んでいたという。そして、彼らは**全員失踪した**。誰も彼らの行方を知らない。ただ、夜になると彼らの声が聞こえる——そんな噂があった。
**「助けて…」**
瑞希は突然、耳元で囁かれた。
「……俊哉、今の、聞こえた?」
俊哉の顔色が変わる。
「……何も言ってないぞ。」
その瞬間——
**ドンッ!!!**
扉が激しく閉まった。二人は飛び上がり、俊哉が懐中電灯を向ける。しかし、出口はもう開かない。
「やばい、何かいる!」
瑞希は息を荒げた。暗闇の奥から、低い囁きが聞こえた。
**「ここに、いるよ。」**
その声は、すぐ近くからだった——。
俊哉は懐中電灯を強く握りしめ、光を乱暴に暗闇へと向けた。
「誰だ!?」
しかし、そこには何もない。いや、”何も見えない”のほうが正しいのかもしれない。
瑞希は必死に息を整えながら、背後の壁へと身体を押し付けた。何かがいる。間違いなく、ここにいる——。
**「……ここに、いるよ。」**
今度はもっと近く、まるで耳元で囁かれたかのようだった。
「……俊哉、逃げよう……!」
瑞希は手を伸ばそうとした。だが、俊哉の表情が一瞬凍りついた。
「…おい、瑞希、お前の後ろ……」
その言葉に、瑞希の体は固まる。
**「……みてるよ。」**
ぞっとするほど冷たい声が、確かに背中のすぐ後ろから聞こえた。だが、振り向く勇気がない。
俊哉は震える手で瑞希の腕を掴み、思い切り引っ張る。
「走れ!!!」
二人は息を切らしながら廃屋の廊下を駆けた。だが、まるでこの場所が歪んでいるかのように、出口が見つからない。
**ギシ…ギシ…**
背後で、ゆっくりと何かが歩いている音がした。
「俊哉、絶対振り向くな…!」
足を止めたら終わる。二人は必死に走り続けた。だが、突如として目の前の壁に、血のような赤黒い文字が浮かび上がった。
**「帰れると思ったの?」**
瑞希の呼吸が止まる。
**囁く廃屋**(終章)
瑞希の背筋が凍る。**「帰れると思ったの?」** その文字が、まるで生きているかのように滲み、赤黒く光っていた。
「……こんなところで終わるなんて、冗談じゃない。」
俊哉は震える手で懐中電灯を握りしめ、廊下の奥を照らした。すると、かすかに外の光が漏れる場所がある。
「出口…かもしれない!」
二人は最後の力を振り絞って駆け出した。だが、その瞬間——
**ドンッ!**
廃屋全体が軋むような音を立てた。まるで何か巨大な存在が目覚めたかのように、床が揺れる。瑞希の耳元に、囁きが絡みつく。
**「もう、遅い——」**
瑞希は叫びそうになったが、俊哉が彼女の腕を引き、無理やり走らせる。
「振り向くな!!」
足元の床が崩れそうになりながらも、二人は闇の奥へと突き進んだ。そして、朽ちた扉を力いっぱい押し開ける。
——冷たい夜風が、二人を包み込んだ。
「……外だ……!」
瑞希は荒い息をつきながら、振り返る。しかし、廃屋の中はもう何も見えない。ただ、黒い闇だけがそこにあった。
俊哉も息を整えながら、静かに呟く。
「…二度と、あそこには近づかない。」
瑞希は、うなずきながら最後にもう一度廃屋を見た。すると、一瞬だけ、割れた窓の向こう側に”誰か”の影が揺れた気がした。
——囁く声が、今もまだそこにいる——。
**完**