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【四月の約束】短編小説

time 2025/07/21

【四月の約束】短編小説

春の風が通り過ぎるとき、奈々は図書館の奥の席に座って、窓の外をぼんやりと眺めていた。大学四年の春休み。卒業まであとわずかだというのに、心の中には小さな穴のような空白が広がっていた。

その空白の正体を、奈々はすでに知っていた。

それは、椎名 蓮——同じゼミで、同じ日々を過ごした彼のことだった。

彼と最後に話したのは、三ヶ月前の冬。ゼミの研究発表の打ち上げの帰り道で、彼は「春になったら、話したいことがある」と言い残し、それ以降、連絡は途絶えたままだった。

奈々はスマホを取り出して、彼とのチャット履歴を開く。最後のメッセージは、雪が降った翌日。「今日の空、綺麗だったね」と書かれていた。

あのとき、「またすぐ会える」と思っていた自分が、今では遠く感じる。

そして四月。新しい季節の始まり。彼からの約束の春が、とうとうやってきた。

奈々は席を立ち、図書館の出口へ向かう。外の桜は、まだ五分咲き。けれど、その蕾には確かな希望が宿っていた。

——彼に、もう一度会えるなら。

風が彼女の髪を揺らしながら、街の音を運んでくる。遠くの時計塔が午後三時を告げていた。

奈々は図書館の階段をゆっくり降りながら、ポケットに手を入れた。そこで指先が触れたもの——一枚の古びたチケット。去年、蓮と映画を観に行ったときのものだ。忘れていたはずなのに、なぜか今日、そのチケットが入っていた。

「……偶然?」

奈々は首を振った。偶然なんかじゃない。きっと、今日が“その日”なのだと心の中で呟いた。

駅前まで歩くと、見慣れたカフェの前に差しかかった。そのガラス越しに、ひとりの人影が見えた。

——椎名 蓮。

あの日と同じ黒いコート。髪は少し伸びていて、彼はコーヒーを前に窓の外を見ていた。

奈々の足は自然と止まり、心臓が静かに早鐘を打ち始めた。

「話したいことがある」

彼の言葉が、静かに蘇る。

その瞬間、蓮が視線を動かし、奈々に気づいた。目が合った。時が止まったような一秒。

そして、彼は微笑んだ。

ドアを開ける音が優しく鳴った。奈々はゆっくりと彼の前に座った。

「待ってたよ」と彼が言う。

奈々は頷きながら、言葉よりも先に涙が一粒、頬を伝った。

春の風が、カフェの外を通り抜ける。桜は——見上げると、満開だった。

カップが触れ合う音が静かに響き、奈々は蓮の向かいで指先を組んでいた。久しぶりの再会に言葉が追いつかず、しばらくはただ互いの存在を確かめるように過ぎる時間。

「ずっと…謝りたかったんだ」

蓮が口を開いた瞬間、奈々の胸がふわりと揺れた。

「謝るって…何に?」

彼は少し目を伏せた。外の桜の影がテーブルに映っている。

「三年前。あの日、奈々が父親の病院に向かったとき、俺…ついていくって言ってたのに、行かなかった。結局、最期に間に合わなかったって、後で聞いた」

奈々は、息を呑んだ。

蓮の記憶は正しい。あの日、彼女は、心の支えだった蓮を待ち続け、病院にひとりで向かった。そしてその夜、父は息を引き取った。

「私…ずっと、聞けなかった。どうして来なかったのか」

蓮は、胸ポケットから一枚の封筒を取り出した。色褪せた封筒。差出人は「志村 連」——彼の本名。

「俺、椎名蓮って名前は、母の旧姓なんだ。志村家は、父の家系で、俺が疎遠にしていた方でさ」

奈々の眉が動いた。

「その日、志村家の祖母が亡くなった。連絡が来て…どうしても行かなきゃいけなかった。でも言えなかった。奈々の大事な日に、別の理由で約束を破ったなんて…」

彼の声が震えていた。

「ごめん。ずっと隠してた。本当の名前も、家族のことも。だけど、春になったら話すって決めてた。お互いに、“四月”って、新しく始める季節だろ?」

奈々は、封筒を見つめながら、涙の跡がもう乾いていることに気づいた。

「じゃあ…今日から、本当の“志村連”に会うってこと?」

彼は頷いた。

「うん。本当の俺で、奈々に向き合いたい」

春の光が、窓越しに二人を包む。過去の痛みと、言えなかった真実。そのすべてを越えて、桜は静かに舞い始める。

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