2025/07/22

静寂が支配する廃墟の館。かつては華やかな晩餐が催され、人々の笑い声が響いた場所。しかし、今は崩れかけた壁とひび割れた床が、その過去を語る唯一の証人だった。
ある嵐の夜、刑事・橘はこの館に足を踏み入れた。理由はただ一つ——この場所で起こった殺人事件の謎を解くためだ。被害者は作家の間宮仁。彼の最後の言葉は「闇が迫る」。
館の奥に進むにつれ、橘の背筋に冷たい悪寒が走った。風が割れた窓から吹き込み、まるで見えない何かが囁いているかのようだった。館の歴史を調べると、かつての所有者が不可解な失踪を遂げたという記録が見つかった。まるでこの場所自体が何かを飲み込み、忘却の彼方へと封じ込めているかのように——。
間宮は何を知っていたのか。彼が最後に書いた原稿の断片を見つけたとき、橘の心は凍りついた。「廃墟の闇に潜む者——」
この館で何が起こっているのか。真相に近づくほど、橘は確信した。これは単なる殺人事件ではない。何かが、この場所を支配しているのだ——。
橘は慎重に廃墟の奥へと進んだ。朽ち果てた階段を踏みしめるたび、軋む音が館全体に響き渡る。この場所はまるで、彼の侵入を拒むかのようだった。
二階の書斎——間宮が最後に滞在していた部屋に足を踏み入れた瞬間、彼の目に飛び込んできたのは、荒らされた机。そして、黒々としたインクで書かれた最後の言葉。
**「影が目覚める」**
橘は息をのんだ。影とは何を指しているのか。この館に棲む何か、それとも——
調査のために持ち込んだ懐中電灯の光を机の上に滑らせると、間宮の原稿が散乱しているのが見えた。震える手で拾い上げ、慎重に読む。そこには、かつてこの館で起こったもう一つの殺人事件が記されていた。
被害者は、旧館の持ち主・神崎貴士。彼は数十年前、突然姿を消したとされていたが、間宮の記述によると——
**「神崎は殺された。そして、その死は記憶から消された」**
橘はゴクリと喉を鳴らした。この館では、何かが人々の記憶を操っているのか。真相に近づくほど、背後に潜む冷たい視線を感じる——まるで、見えぬ何かがこちらを監視しているかのように。
その瞬間、扉が**ギィ…**と軋みを立てて動いた。
誰かがいる——。
橘はすぐに振り返ったが、そこには何もなかった。ただ、廊下の奥に続く闇だけが、不気味な沈黙を保っていた。
これは単なる殺人事件ではない。これは、この館に深く根付いた”何か”の物語だった。
橘は、背筋を這い上がる不吉な気配を振り払うように懐中電灯を握りしめた。光の先には何もない。ただ、冷たい闇が広がっているだけだった。
だが、確かに感じた。誰かが——いや、何かが、ここにいる。
慎重に足を踏み出し、廊下の奥へ進む。壁にかかった古びた肖像画の瞳が、まるで橘を見つめているようだった。突如、足元で何かが動いた。
**カリッ…カリッ…**
橘の呼吸が浅くなる。光を向けると、床の隙間から何かが覗いていた。血塗られた手紙だった。震える手で拾い上げると、その文字が間宮の筆跡であることに気づく。
**「私を許すな」**
それは懇願なのか、それとも警告なのか。橘は、急いで書斎へ戻り、間宮の原稿をもう一度読み返した。すると、ある一節が目に留まる。
**「神崎は、自らの罪をこの館に刻んだ。彼の影は生き続ける——」**
その瞬間、書斎の扉が激しく閉じられた。
**バタンッ——**
橘は飛び上がり、振り返る。しかし、そこには誰もいない。ただ、廃墟の沈黙が彼を包み込んでいた。
息を呑みながら、橘は確信する。これは単なる事件ではない。この館は、生者と死者の境界が曖昧になる場所——。
**そして、扉の向こう側には、まだ語られていない真実が待っている。
橘は、震える手で血塗られた手紙を握りしめた。その瞬間、背後から足音が響く——規則正しく、確実に近づいてくる。
「橘刑事——ご苦労なことだ」
低く響く声に、橘はゆっくりと振り返る。そこに立っていたのは、**元館の管理人・藤堂**だった。
「…あなたが犯人だな」
藤堂は微笑んだ。だが、その目は冷たい。
「よく気づいたな。だが遅かった——間宮は、余計なものを暴こうとした。それが彼の運命だったんだよ」
橘は懐中電灯を強く握りしめる。間宮の原稿に記されていた神崎の死——それが藤堂の手によるものなら、この館に潜む影の正体も説明がつく。
「神崎を殺し、その事実を隠蔽した。だが、間宮がそれを突き止めた。そして——」
「そう。だから始末した」
橘の背筋が凍る。だが、藤堂は余裕の表情を浮かべていた。
「この館は、忘却の場所だ。真実を知る者は、この闇に沈む。君も——」
その瞬間、橘は懐中電灯を振りかざし、藤堂の動きを封じた。隙をつき、彼の腕を捻り、手錠をかける。
「悪いが、俺はこの闇には沈まない」
藤堂は不敵に笑うが、橘は冷静だった。
**「これで終わりだ——真実は、もう闇に消えはしない」**
廃墟の館に、嵐の夜が静かに幕を閉じる。事件は終わった——だが、この場所が抱える闇は、本当に消え去ったのか。
それは、誰にもわからない——。