2025/07/22

夜の海は、昼間とはまるで違う顔を見せる。波の音は不気味に響き、月明かりに照らされた水面は、まるで何かを隠しているかのようだった。
「本当にここで事故があったの?」
私は友人の翔に尋ねた。彼はスマホのライトを海に向けながら、低く笑った。
「十年前、この浜辺で女の人が溺れたんだってさ。助けを求める声が聞こえたのに、誰もいなかったらしい」
「やめてよ、怖い話は苦手なんだから」
私は腕を抱きしめる。潮風が冷たく、背筋がぞくりとした。
「でもさ、今でも聞こえるらしいよ。夜になると、波の音に混じって……」
その瞬間だった。
「……たすけて……」
波の音に紛れて、かすかな声が聞こえた。
「今の、聞いた?」
翔の顔が強張る。私は息を呑み、海を見つめた。
「……たすけて……」
確かに聞こえる。波の音ではない。誰かの声だ。
「冗談だろ……?」
翔がスマホのライトを海に向ける。だが、そこには何もない。
「帰ろう、もうやめよう」
私は翔の腕を掴んだ。だが、その瞬間、足元の砂が沈むような感覚がした。
「え……?」
足が動かない。まるで何かに掴まれているようだった。
「翔!助けて!」
必死に叫ぶ。しかし、翔は動かない。いや、動けないのだ。彼の目は恐怖に見開かれ、何かを見つめていた。
私はゆっくりと振り返る。
そこには、海から這い出す白い手があった。
「……たすけて……」
その声は、もう波の音に紛れていなかった。
それは、私たちのすぐそばで囁いていた。